「現代数学入門」集合論の創始者

集合論の創始者 一

あらゆる発見というものは、それが偉大であればあるほど、あとから見れば、それが当たり前に思えてくるから不思議なものです。
集合論もそうしたものの一つと言えます。

集合論の創始者、カントルもやはりそういう大きな革命をもたらした人にふさわしい、波乱に満ちた人生を送っています。

集合論が数学の中で市民権を売るまで、カントルは多くの論敵と激しい理論闘争を行わなければならなかったのです。
その中で最大の論敵がクロネッカー(1823~1891)とポアンカレ(1854~1912)でした。

クロネッカーはもともと無限というものを認めない「有限主義」(finitism)ともいうべき立場にあった人でした。
クロネッカーは、クンマー(1810~1893)やデデキント(1831~1916)と共に代数的整数論の基礎を作った人ですが、彼の仕事はそのような立場が色濃く反映されたものなのでした。

例えば、ある多項式が既約であるかどうかを有限回の演算で判定する方法などもクロネッカーらしい発想です。

また、代数的整数論でも無限の数の集合であるイデアールを考えたデデキントとは違って、ある形式的な多項式の係数の集合(もちろん有限集合です)をとるのが、クロネッカーの方法です。
この二つは「内容」(Inhault)という概念によって結びつきはしますが、やはり無限を積極的に取り入れようとするデデキントと極力、無限を避けて有限に留まろうとしたクロネッカーの考え方の対立は鮮明です。

集合論の創始者 二

デデキントのイデアールは考えの上では易しいが、計算の上ではクロネッカーの方法に助けを求めなければならない場合が多いです。
この二つの方法は相補う立場にあります。

このようなクロネッカーが無限というものが、単に可能性としての無限ではなく、現実に存在するという事、つまり、「実無限」(das aktuell Unendliche)という考えを大胆に押し出してきたカントルの集合論の出現を黙って見過ごす筈はなかったのです。
彼が辛辣に攻撃したのは当然だったのです。

ポアンカレもクロネッカーと同じ立場ではありませんでしたが、カントルの論敵でした。
ポアンカレの批判は、『晩年の思想』や『科学と方法』に載っているのでそれを読むとよく解ると思います。

カントルが無限の理論を初めて発表した時は激しく抵抗されましたが、今にして思うと、それは致し方ないと思われます。
自然数全体は無限の数からできているし、また、直線を点に分割すると無限個の点になります。
その他、数学では至るところ無限にぶつかる。
だから、無限についての本格的な理論は当然なければならなかったのです。
その当然の事をカントルは遂行したに過ぎないのです。

ともかく、カントルは集合論を築き上げるために、大きな犠牲を払ったのです。
ラッセル(1872~1970)は、カントルを喧嘩好きの男であると言いましたが、ベルによれば、カントルはひどく神経質で気の弱い人であったと言います。
つまり、そのような両面を持った人物がカントルなのです。

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