「現代数学入門」関数というブラック・ボックス

関数というブラック・ボックス 一

ブラック・ボックスを思い浮かべてください。
ブラック・ボックスとは、入口がたくさんあり、出口がたくさんある複雑な装置で、例えば、先述した易の切符の自動販売機がブラック・ボックスといえます。
ブラック・ボックスを日本語に訳すと「黒い箱」です。
何故ブラックなのかといいますと、もう、地図のような電子基板上に設計通りに電子部品が組み込まれた装置が何をしているのか、人間は一一知る必要がありません。
また、専門家に説明されても解かる筈はありません。
切符の自動販売機ですらコンピュータ制御の装置です。
これは既にブラック・ボックスといえるのです。
そのブラック・ボックスをfと表したのです。

また、銀行というものも一種のブラック・ボックスと看做しても差し支えないと思います。
ブラック・ボックスは中のからくりがよく解らないものなのです。
銀行の場合、預金が入ってきたり、日銀から入ってきたり、お客さんにお金を貸したりするなど、銀行内部では、人が何をしているのかわかりませんが、あるルールに則って機能しています。

以上のように、関数というものは簡単なものなのです。
関数というものはある働きの事を言いますが、働きは目に見えにくいものだということです。
この目に見えにくいということが、関数を解かりにくくしているのだと思われます。

関数というブラック・ボックス 二

関数の例えとして透明人間というものを考えてみてください。
透明人間は、ある薬を飲むと体が透明になって見えなくなります。
その透明人間が例えば部屋に入って、電話の受話器を持ち上げると、透明人間は見えませんが、受話器が持ち上がっている様は見えます。

これを関数という考え方に置き換えますと、透明人間の存在を知っていて、電話の受話器が持ち上がれば、目には見えませんが、それは透明人間の仕業だということが理解できます。
関数とは、この目に見えない働きの事です。

関数というものはライプニッツ以前にも存在していましたが、ライプニッツが関数という考え方を言い出したために、人々はライプニッツの見方で考えるようになったのです。
この函数という考え方は、大転換ではありませんが、物事の見方を変えたのです。

fというのが目に見えない透明人間の事で、例えば、y=x^2(これから乗数は^で表記します)というものがありますが、これを漫然と眺めていてもただの等式です。
これを二乗するという働きにxが入ってきて、yが出て来たと考えるとy=()^2、つまり、何かを二乗する働きというものを取り出して考えるようにライプニッツがしたのです。
この関数という見方は、ライプニッツが初めてです。

関数というブラック・ボックス 三

大昔から函数は存在していましたが、関数という考えを示したのはライプニッツが初めてでした。
そして、数学というものは、文学や絵画と変わりがありません。

例えば、芭蕉の「閑(しず)かさや岩にしみいる蝉の声」という俳句が作られました。
芭蕉がこの俳句を作る以前にも岩とセミは普通の風景として存在していましたが、芭蕉が、俳句にすることで、セミの鳴き声は静かさを顕わしているという見方を人々に与えたのです。
同様に関数も、関数というある種のめがねをかけて、この世の現象を眺めるようになったのです。

また、ゴッホがひまわりを描きました。ひまわりはありふれた花ですが、ゴッホがひまわりを描くことで、ひまわりに対して人々値は新しい見方を持つようになりました。
関数とはこれと同じことなのです。

大昔から日常に存在していたものを関数という眼鏡で、その現象を見ることをライプニッツが示しました。
そうする事でいろいろな現象が深く掘り下げられるようになったのです。

以上のように、関数という考え方は、見方によれば、とても広い意味を持っています。
一つの会社や学校も広義の意味でブラック・ボックスといってよく、学校は生徒が入ってきて、さまざまな教育を受けて卒業する。
インプットとアウトプットが存在するのです。関数とは簡単な考え方なのです。

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