「現代数学入門」アルキメデスとアラビア

アルキメデスとアラビア 一

中世のヨーロッパでは自然科学はほとんど停滞していました。
しかし、ユークリッドに少し遅れてアルキメデス(紀元前287~212)が現われます。
アルキメデスは、アルキメデスの方策や浮力の法則、てこの原理などで有名ですが、ヨーロッパでは、アルキメデスに続く後継者が中世では現われませんでした。

アルキメデスは、数学でも大変な業績があり、紀元前200年頃でありながら、アルキメデスは微分積分の入り口まで進んでいました。
多くの人が、数学史上、最も優れた天才と看做している人も少なくありません。
それほどにアルキメデスの偉業は凄かったのです。

しかし、ヨーロッパではアルキメデスに続く人が現われませんでした。
むしろ、アラビア世界で数学は中世の間、発展を遂げました。
中世は、ヨーロッパよりもアラビア文化圏の方が文化ははるかに進んでいたのです。

また、古代は、ヨーロッパよりもアジアの方がはるかに文明は進んでいました。
ヨーロッパが科学の分野で発展したのは近代になってからの事で、比較的新しいのです。

当時は、アルキメデスの業績はアラビア語穂に翻訳されて、アラビア世界で発展を遂げて、そのアラビア語で書かれたものがヨーロッパの言葉に翻訳されていたのです。

アルキメデスとアラビア 二

ヨーロッパに関しては、宗教が支配的だった中世では数学は発展しませんでした。
むしろ、退化したと言えます。
中世ヨーロッパは自然科学にとって住みづらい世界だったと言えます。
このために、中世ヨーロッパでの科学の発展は停滞し、アラビア語に翻訳されたものをもとにして、アラビア世界で自然科学が発展していったのです。

しかし、近代の初めになって、つまり、ルネサンスの時代になって、アラビアからヨーロッパに科学がぽつぽつと入り始めました。
そして、自然科学の研究や数学の研究が、ルネサンスを境にヨーロッパでも盛んになってゆきます。

例えば、「x」などの文字を使って行われる代数学のような解法が16世紀ごろに生まれてきます。
次第に近代数学が生まれる素地が整っていったのです。

代数学も2次方程式まで解けることができなかったものが3次方程式、4次方程式の解法も発見されたのです。これはイタリアで発見されました。

こうして、再び、代数学はアラビアからヨーロッパでの発展が始まったのです。

それにしても、中世ヨーロッパは、余りにも宗教が絶対的な権力を持ってしまったために、自然科学や数学の発展の障害となるだけでした。
しかし、中世ヨーロッパの世界が人間にとって住みにくい世界かというと、一概には、そうとは言えず、宗教が絶対的な権力があった世界はそれはそれで居心地がよかったのです。

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