数学が密かなブームということで、遠山啓著「現代数学入門」(ちくま学芸文庫)をもとに現代数学について解説しています。
環の中で一番重要なのは0です。
0は加法群の単位元ですし、0はどの環にも必ず存在するものなのです。
体では0以外の要素には必ず逆元が存在し、0と0でないものの区別は截然としています。
しかし、一般の環ではその境界が判然としません。
0ではなくても逆元の存在しない要素が存在します。
例えば、実数を要素とする2行2列の行列の環
a11 a12
a21 a22
では、
0 1
0 0
という行列は0ではないが、逆元は存在しません。
それ故に体でない一般の環では0でないけれども0に近い「0に準ずる」とでもいうべき要素が存在することに気が付く筈です。
このような要素をうまく探り出して、それを一カ所に集め、他の要素から切り離して分離しておく必要が生じます。
こういう要素はなかなか厄介なもので、研究が難しいものなのです。
「0に準ずる」ということを具体的に言うと「冪零」といいます。
それはある要素aの冪a^nが0になるということに他ありません。
a^n=0
nは1、2、3、……のどれでもいいですが、特にn=1であったらaそのものが0となります。前に述べた
0 1
0 0
という要素は2乗すると0になりますので
0 1^2 = 0 0 = 0
0 0 0 0
冪零です。
このような要素を全て寄せ集めて、それを分離することができたてならば話は簡単なのですが、そうは上手くゆきません。
そういう冪零な要素の集合は例えば加法について閉じているとは限りません。
前述の例でいえば、
a=0 1
0 0
b=0 0
1 0
は、a^2=0、b^2=0ですが、その和は冪零ではありません。
0 1 + 0 0 = 0 1
0 0 1 0 1 0
それではどういう制限が考えられるでしょうか。
それは、一つの要素aが冪零という条件よりも強い条件で、イデアールという要素の集合Iが冪零という条件で
I^n=0
これはIの任意の要素をn個のa1、a2、……、anをとってきてかけ合わせますと、0になる、という意味です。
a1a2……an=0
このようにイデアールのもっとも大きなものが存在しますが、それを根基と名付けます。
この根基が厄介者なのです。
Aを多元環とし、Rを根基とすると、剰余環A/Rにはもう0以外の根基はなくなります。
このように根基が0であるような感を半単純と名付けます。
A/RというのはRの要素を0と看做す大まかな見方でみた環のことであるから、その意味ではA/RはRを無視したと看做してもいいでしょう。
しかし、Aが半単純なA*と根基Rの和にきれいに分かれるとまでは言えません。
しかし、ある種の条件があれば、、Aは半単純A*と根基の和に分かれるのです。
A=A*+R
次にこの半単純なA*をさらに分解すると、これが単純な多元環の和に分かれるのです。
A*=A1+A2+……Am
単純というのは、0もしくは、それ自身以外の両側イデアールを有しないという意味です。
両側イデアールがありますと、多対一の準同型写像でより小さな環に縮小してうつされますが、そのようなイデアールが存在しなければ縮小不可能です。
このような意味合いで「単純」なのです。
それでは、更に前述の単純な多元環はどうなるのでしょうか。
それに関しては次の定理があります。
定理:単純な多元環はある体(非可換であってもいい)の要素で作られたすべての行列のつくる環です。
つまり、体Kの任意要素をa11、……、annとするすべての行列
a11 a12 …… a1n
a21 a22 …… a2n
・
・
・
an1 an2 …… ann
のつくる環――これを完全行列環という――となります。
完全行列環はn^2個の基を持つ多元環です。
e1 = 1 0 …… 0 0 0 …… 0 ・ ・ ・ 0 0 …… 0
e2 = 0 0 …… 0 1 0 …… 0 0 0 …… 0 ・ ・ ・ 0 0 …… 0
……
enn = 0 0 …… 0 0 0 …… 0 ・ ・ ・ 0 0 …… n
をn^2個の基とすると、
eijekl=eil (j=kのとき)
0(j≠kのとき)
という乗法を持つことが解かります。
このような多元環をMnとおき、ある体をKとおくと、上記の定理は、すべての単純多元環が
K×Mn
となります。
ここまで来ると、一般の多元環を分解していくと結局、体と完全行列環と冪零の根基になってしまうことが解かりました。