数学が密かなブームということで、遠山啓著「現代数学入門」(ちくま学芸文庫)をもとに現代数学について解説しています。
これまで見てきたように構造を考えてゆくときに、その準備として相互関係のないものの集まりをまず、考えておく必要があります。
その段階にあるのが集合論です。
つまり、集合論は、あらゆるものの相互関係を無視してそれをお互いに無関係な原子の集まりと見る立場をとります。
それは、分析を徹底的に推し進めたもので、その意味では、原子論とも言えます。
例えば、次のような二組の三人家族があるとします。
一方は、{祖父,父,長男}であり、一方は、{父,母,長女}であるとします。
しかし、集合論にとって家族の構造は問題ではなく三人家族の三という数だけに興味があり、それ故に、集合論の見地からすると、上記の二組の家族は同じと看做されてしまいます。
また、お互いに赤の他人が三人同居していても同じになります。
しかし、集合論は、三という数には関心がありますが、その三という数字をどのように考えますかと言いますと、上記の例で言いますと、その構成メンバーの間に一対一対応をつければいいのです。
一対一対応というのは、一方の家族の一人に他方の家族の一人が対応し、二人は対応しない何らかの対応で構わないのです。
それは、二組の家族が会合してテーブルを隔てて一人づつ向かい合って座る、というのであっても全く問題ありません。
ここで一対一対応というから、親は親に、子は子に対応する必要は全くありません。
つまり、その対応の仕方は、「家庭の事情」は無視して構わないのです。
前述の二組の家族の一対一対応の意味は、家族の構造を全く無視して、一方の家族から無作為に一人を引っ張り出し、また、もう一組の家族から無作為に一人を引っ張り出してもいいのです。
一対一対応をつける、という手続きの中には既に構造を破壊するという狙いが始めから隠れているという事に注意してください。
以上のように一対一対応をもとにして集合論という数学の新しい分野をつくり出したのがカントル(1845~1918)という数学者でした。
集合論の狙いは、あらゆる構造をひとまず解体して、それをバラバラの原子にしてしまうことですが、しかし、それは最後の目標ではなく、単なる第一段階に過ぎないのです。
歴史的に言ってもカントルの集合論は1870年代に現われましたので、現代数学のきっかけを作ったヒルベルトの幾何学基礎論などより二〇年以上早く登場している事になります。
それは自然の成り行きで、カントルの集合論は、(1)の分析にあり、(2)の総合に当たるからです。
それ故に、カントルの集合論だけ勉強して、それで終わりにしたならば、いかにも中途半端で、その真の意図を誤解する恐れがあります。
集合論は徹底的に原子論的な立場をとる事によって、それ以降の数学の思考法に革命をもたらしましたが、集合論の分析的方法そのものが全く新しいものだというのではありません。
分析とか総合というのは、人間の思考の基本で、パブロフは大脳のもっとも重要な機能の一つとして分析と総合を挙げています。
その意味では、最も古い考え方なのです。
例えば、二千年昔のユークリッドの幾何学は図形を点、線、平面に分解し、それを再構成する事によって、図形の隠れた性質を明らかにしてゆく、という方法を採用していました。
しかし、集合論ではそれをさらに徹底して行ったのです。
そこに新しさがあるのです。
直線や平面で止まる事に満足しないで、それをさらに点まで打ち砕いてみなければ承知出来なかったのです。
そこに集合論の新しさがあるのです。