「現代数学入門」カントルの目指したものとは

カントルの目指したものとは 一

有限の数の間には加減乗除の四則や累乗のような演算は可能です。
この考えを無限の集合数にも拡張する事がカントルの目指したところだったようです。

有限の数は、足したり引いたりして新しい数をつくり出しますが、無限の場合も同様に新しい数がつくり出されるに違いない。
そのようにして生まれた数はどのような性質をもつのかにカントルの関心は向いていました。

カントルは、学界では、異端児として見られ、論争する相手も多かったようですが、また、友人も少なかったようです。
その中でもデデキントはその少ない友人の一人として、カントルの支持者でした。

そのデデキントでさえも、無限に対する姿勢は違っていたようです。

デデキントは、集合は、閉じた袋のようなものといい、カントルは底無しの深淵と言っています。

デデキントには、集合と集合を組み合わせて新しい集合をつくり出す、という積極的な姿勢は見られません。
デデキントにとって集合が1つの「閉じた袋」であるというのはデデキントの正鵠を射ているのです。

カントルは、デデキントよりも積極的に新しい無限集合を次々に作り出す人に興味がありました。
そのようなカントルにとっては、集合が底無しの深淵に思えたのも頷けます。

カントルの目指したものとは 二

カントルの発見の中で最も衝撃的だったのは、無限集合にも差様々な程度が存在するということです。
無限が、単に限界の欠如という消極的にしか捉えなかったならば、全ての無限は、同じように見えたに違いありません。
しかし、「一対一対応」という積極的な比較の手段が見つかると無限の中にも大小の差があり得るのです。
その事をはじめて立証したのは、実数の集合が可算できないという立証です。

実数全体を考えなくともその一部分が可算できないことを証明してもそれは同じです。

そこで0と1の間の実数全体の集合を問題とすれば、まず、このような集合をMとします。
そのような数は無限小数に展開できます。

0.335407……
0.41089……

などです。
ここで背理法を利用します。
Mが可算であると仮定します。
そうするとMの要素1,2,3,4,……という自然数が対応する事になります。

例えば、

1←0.53024……
2←0.248309……
3←0.726284……

などです。

この対応で0.53024……の5、0.248309……の4、0.726284……の6の対角線に並んでいる数字に目をつけてみます。
そうすると5,4,6,……の数字数並んでいることが解かります。
この数字を並べると無限小数が産み出されます。

0.546……

しかし、ここで必要な事は少数ではありません。
これとは違ってすべての桁が違っている少数です。
それを例えば、0.358……としたならば、上記の対応図の何段目かに必ずある筈です。
しかし、このような数がMに含まれているのでしょうか。

もし仮に、100番目に出て来たとします。
そうすると他の桁はともかくとして100番目の数字は票の数字と一致しなければなりません。
ところが、上の数は全ての桁の数字が対角線に出て来る数字とは違う数字で出来ています。

だから、上の数は、対応図の何番目にも出ていない筈です。
つまり、この数はMには属しません。すると矛盾します。

それ故にMが可算だという最初の過程は誤りなのです。
つまり、Mは可算ではなく、それよりも大きい集合数を持っていることになります。

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